No.90(2008年11月号から)

空自トップのゆがんだ歴史認識の狙い!?

空幕長の「侵略濡れ衣」論文


   浜田防衛相は10月30日、航空自衛隊トップの田母神俊雄・航空幕僚長が「我が国が侵略国家だったというのは濡れ衣である」とする論文を書いていた、として「政府見解を否定する内容である」として田母神幕僚長の更迭を発表した。

 防衛省は、慌てて田母神を「定年退職」させて、退職金6000万円も支給するという。

 問題となった田母神航空幕僚長の「日本は侵略国家であったのか」と題した論文は、アパグループ(本店・金沢市)の「真の近現代史観」懸賞論文(創業37周年記念)に応募し、最優秀賞(賞金300万円)を受賞し、インターネット上などで公表されたものである。

 同論文の要旨は「日清戦争、日露戦争などによって国際法上合法的に中国大陸に権益を得て、これを守るために軍を配置した。我が国は蒋介石により日中戦争に引きずり込まれた被害者だ」「日本政府と日本軍の努力で(満州や朝鮮半島の)現地の人々は圧政から解放され、生活水準も格段に向上した」「日本はルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行した。」「大東亜戦争後、多くのアジア・アフリカ諸国が白人国家の支配から解放された。」

 東京裁判の「マインドコントロールが今なお日本人を惑わせている。自衛隊は集団的自衛権も行使できない、武器の使用も制約が多い、攻撃的兵器の保有も禁止されている。」  「多くのアジア諸国が大東亜戦争を肯定的に評価していることを認識する必要がある。我が国が侵略国家だったなどというのは正に濡れ衣である」というものである。

 現職の空幕長がこのような侵略戦争を美化する見解を発表したこと、田母神が以前からこうした見解を表明していたことは防衛省や空自内では知られていたのである。

 こうした人物を空自トップに昇進させた防衛省が同様な体質を持っているのではないか?と思わざるを得ないのである。

 日本史教科書の検定を通じた一連の「歴史のすり替え」や書き換えが進められている動きと、田母神論文とが一致していることに我々は注目せざるを得ない。

 田母神の主張の誤りは、「我が国を自らの力で守る体制がいつになっても完成しない」のは、日本が対米従属である結果であって、「東京裁判のマインドコントロール」ではない。

 なぜ自衛隊幹部の中から侵略戦争を美化する動きが表面化するのだろうか、その事にどのような利益があると言うのだろうか。

 日本の政治家や自衛隊の中から侵略戦争を正当化する考えが明らかとなると、その度に中国や韓国やアジア諸国から「妄言」との批判が吹き出てくる。これら各国は、日本の軍国主義復活を恐れ、在日アメリカ軍に、日本の自立を阻止する“ビンのふた”としての役割を求めるようになる。

 つまり田母神らの“妄言”は、日本を従属下に置き続けるアメリカにとって極めて好都合な事なのである。

 航空自衛隊がアメリカの影響をとりわけ強く受けていることを指摘しなければならない。田母神論文や文科省の歴史教科書の書き換えは、日本をいつまでも従属国に置くためのアメリカの“高等戦術”なのではないか? アメリカという国は、こうした世論誘導に長けた国なのである。

 日本のアジア各国への侵攻は、明らかに侵略であり、日本とアメリカ、イギリス、オランダとの戦争は植民地争奪の帝国主義同士の強盗戦争であった。

 結果論的に見るなら、日本の侵略戦争で多くのアジア諸国が「独立」したのは事実である。だがそれをもって日本の侵略戦争を正当化できるものではない。戦後アフリカ・アジア諸国の独立は、イギリスやフランスやオランダが自国が戦場になった関係で植民地を維持する力がなくなった結果にすぎない。このことは戦争が歴史打開力を持つと言うことを示すにすぎず、日本の戦争を正当化する口実にはならないのである。

 田母神が主張する、日本は「引きずり込まれた被害者」とか「ルーズベルトの仕掛けた罠にはまり真珠湾攻撃を決行した」だから「我が国が侵略国家だったというのは濡れ衣」とは言えない。

 戦前の日本の外交が戦略的に見て御粗末であったという事は、侵略国家としての日本を正当化する口実にはできないのである。

 重要な事は防衛省内のこうしたゆがんだ歴史認識や文科省内の歴史教科書の検定を通じた歴史の改ざんの動きが、アジア諸国の日本の対米自立への警戒心をあおり、日本の従属状態を維持しようと企むアメリカに都合よく利用されることである。

 ゆがんだ歴史認識の背後にアメリカの陰謀が存在している可能性を見ておくべきである。侵略戦争の美化や占領統治の正当化の妄言が日本の対米自立を妨げている現状を見れば、“妄言”の背後に誰の意図が働いているかは明らかではないか!  軽薄な歴史の書き直しや、侵略戦争の美化が、日本民族の課題である自立の障害となっていることを指摘しなければならないのである。