No.84(2008年5月号から)

表現の自由の空洞化を糾弾する!

反戦ビラ配布で「住居侵入罪」という“最高裁の罪”


  表現の自由の空洞化を糾弾する! 反戦ビラ配布で「住居侵入罪」という“最高裁の罪”  4月11日最高裁第2小法廷は、東京立川市の自衛隊官舎へのビラ配布をしていた3人が、住居侵入罪に問われた事件で、被告の上告棄却を言い渡した。

 自衛隊のイラク派遣に反対するビラの配布が刑事事件に問われるなら、憲法21条の表現の自由も9条(戦争の放棄)と同じく空洞化することになる。

 今問題となっている映画「靖国」上映への右翼の阻止活動も表現の自由への侵害である。映画を上映させた上で批評活動を展開すべきなのである。その映画の評価は人に押し付けられるものではなく、観客が決めるのが民主主義である。

 最近市民運動や労働組合のビラ配布もやりにくくなった。

 大阪駅前でビラを配布していると制服警官が来て「ここは駅の敷地内だからビラを配布するな」と言う。マンションの郵便受けにビラを入れようとすると管理人が出てきて「ビラを入れるな、警官を呼ぶゾ」と言う。そんなわけでビラ配布がだんだんやりにくくなっているのである。

 官舎やマンションの敷地内に入らないと郵便受けやドアポケットにビラを入れることもできない。

 新聞広告やテレビやラジオの宣伝には巨額の資金を必要とする。

 資金面で制約のある市民運動やユニオンでは宣伝を満足におこなうこともできなくなってきている。

 今回の反戦ビラのように特定の団体のビラ配布を力で規制するやり方はおかしい、労働者を搾取・収奪する点では規制緩和であるのに反戦ビラや特定の団体のビラ配布は規制が強化されているのが現実なのである。

 職場で「賃上げ」や「ユニオンへの加入」や「残業代を払ってほしい」と口にしただけで解雇される例が数多く見られる。会社の理不尽なリストラを批判したばかりに、職場で見せしめ的な差別を受けている労働者がたくさんいる。

 労働者には職場では口にしてはいけないタブーがある。これが表現の自由が形骸化した日本の現実である。

 まるで労働者は“賃金ドレイ”として羊(ひつじ)のごとく臆病で、おとなしい家畜であれ、と言わんばかりで、表現の自由にも格差が生まれているのである。

 企業や金持ちには表現の自由があるが、労働者・人民の表現の自由は形骸化させられている。マンションや官舎の郵便受けやドアポケットにビラを配布することもできなくなってきているのである。

 労働者・人民の表現の自由が無くなる時、“内に抑圧・外に侵略”の時代がすぐ近くに来ていることを歴史は教えている。

 日本の平和主義を堅持すべきと考える人々は、官舎への反戦ビラ配布を「住居侵入罪」に問う今回の最高裁判決に抗議の声を上げなければならない。

 政治が“よからぬ事”すなわち“戦争への道”を選択しているからこそ、たかが反戦ビラに恐れおののくのである。

 官舎へのビラ配布が刑事事件になるほど表現の自由が空洞化している危険を指摘しなければならない。

 国家や企業を批判する者の宣伝や主張を押さえ込もうとする傾向は間違っている。こうした反対の声を封じ込める動きこそがその組織の腐敗を呼ぶのである。こうした社会傾向が進めば国家主義や全体主義につながる危険がある。

 国家権力が反戦ビラを恐れ、企業がリストラ反対のビラを恐れ、右翼が「靖国」という映画を恐れるのはどこかに後ろめたい気持ちがあるからだろう。

 反対者の表現の自由を認めて、堂々と討論することが民主主義ではないのか!  日本の政治家が対米従属ゆえに口をつぐみ、アメリカへの批判を避けるのは民主主義的態度とは言えない。強い相手を恐れて、対米自立という民族的主張をしない政治家は愛国主義者とは言えないのである。政治家なら表現の自由を自分から捨ててはいけない。

 「対米自立」という、日本人なら当然のことを、アメリカを恐れるがゆえに誰も主張しない現実を知るがゆえに、表現の自由の空洞化が進むことを糾弾しなければならないのである。