No.82(2008年3月号から)

指導者責任と無差別爆撃批判に今日的意義

映画「明日への遺言」を見て


   第二次大戦後の“勝者の裁き”であった戦争犯罪には「侵略戦争の計画・遂行など」の罪に問われたA級戦犯、「戦争法規や慣例に違反した殺人、捕虜虐待、略奪など」の罪に問われたB級戦犯、「一般国民に対する虐殺や奴隷化など」の罪に問われたC級戦犯の3つがあった。

 「明日への遺言」は、大岡昇平の「ながい旅」を小泉堯史監督が映画化したもので、横浜地方裁判所におけるB級戦犯に問われた岡田資(たすく)中将と、その部下19名の軍事裁判シーンを描いている。

 映画は冒頭で東京大空襲と名古屋空爆・原子爆弾投下や、日本軍の重慶空爆の実写映像が流れる。

 焼け跡に黒コゲの死体がるいるいと横たわる悲惨な戦争のドキュメンタリー映像は、軍事法廷で「アメリカ軍による市街地無差別爆撃は国際法違反である」として、たった1人で誇り高く主張した岡田中将の「法戦」の時代背景を示している。

 この映画のほとんどのシーンが軍事法廷である。当時名古屋などの東海地区の陸軍東海軍司令官だった岡田中将は、B29の空爆時に日本軍の対空砲などで撃墜されパラシュートで降下したアメリカ兵を捕虜としては扱わず「市街地無差別爆撃は大量殺人である」として正式な手続きを踏まずに処刑した。この処刑の裁きをおこなった「軍律会議」の略式手続きについて不公正かどうかが公判で対立点となる。

 岡田は「明らかに無差別爆撃をしたと思われる者は略式手続きによる」と堂々と証言し「自分は、略式の軍律会議の長であり、すべての責任が自分にある」と主張する。

 この映画の見所は、アメリカ軍の無差別爆撃の違法行為をめぐる弁護士フェザーストンと岡田と検事との論戦である。裁判が進行していくうちに、裁判長や検事が岡田中将の人柄に魅了されていく。

 裁判のクライマックスは、裁判長や検事が「処刑は空爆への恨みではないか」「誰かに処刑を示唆されたのではないか」と岡田中将に問う。この問いは温情であると同時に罠であった。岡田中将の「無差別爆撃は犯罪だ」との主張の放棄をせまるものであった。

 岡田中将がこれを受け入れていれば、あるいは死刑をまぬがれたかも知れない。しかし彼は最後まで主張を貫き、部下を庇うのである。

 岡田中将は唯一人、最後まで責任逃れをせず、米軍の国際法違反の無差別爆撃を批判して、自ら死を選ぶのである。

 岡田中将は絞首刑となり、彼の部下はすべて死刑をまぬがれることとなる。岡田中将が死を賭して糾弾した国際法違反の無差別爆撃が今もなおイラクやアフガンで展開され、多くの民間人が死んでいる時であるがゆえに、映画「明日への遺言」の今日的意義があると指摘しなければならない。

 イージス艦「あたご」が海上の交通ルール(国際法)を無視して、漁船員2名を死なせた上、防衛庁の見苦しい責任逃れを見ていると、あるべき武人の姿に学んでほしいと思うのである。

 それにしても映像のほとんどが軍事法廷のシーンであるのに、時間が経つのを忘れるほどにストーリーに引き込まれていくのは、主演の藤田まことと小泉監督の力量である。この映画を多くの若者にまた責任ある地位にある人々に見てほしいと切に思うのである。