No.76(2007年9月号から)

「小沢外交」の帰趨 −テロ特措法と日米の今後−

投稿 文筆家 佐藤 鴻全


21cジャーナル編集部に佐藤 鴻全氏より投稿がありましたのでご紹介します。
佐藤氏のホームページ

◆シーファー大使との会談◆

参院選で民主党を大勝させ野党で過半数を得た小沢代表が、11月に期限が切れるテロ対策特別法延長に反対を明言している。

米国は、シーファー大使を民主党本部に送り小沢氏を説得したが、効果はなかった。

小沢氏は、アフガニスタン戦争は国連決議を得ずに米国が自衛権の行使として始めた戦争だとして、それに対するテロ特措法による協力は出来ないという立場だ。

 一方、シーファー大使は、この戦争「不朽の自由作戦」(OEF)はドイツを始めとしたEU諸国の参加とロシア・中国を含む多くの国からの支持を得たもので、今年3月に採択された安保理決議1746には、「OEF参加国の支援を受け、アフガン政府がタリバンやアルカイダとの戦いを継続すること」を求めており、OEFが明記されている事をもって国連の活動であると主張した。

 01年の9・11同時多発テロを受けて直後に開戦したこの戦争は、筆者の理解では当時実質的な報復戦争の要素が強いとして開戦の国連決議を得られなかったが、諸外国はテロへの怒りと、開戦しなければ米国社会が持たない事を慮って支持をし、集団的自衛権の行使として参加し、その後、後付けで国連が原状を追認したものである。

◆歴史の類例と「国連原理主義」◆

今回、米国にNOを突きつけた形になった小沢氏と「小沢外交」の行方はどうなるのか。

 衰えつつあるとは言え、今後2、30年は依然唯一の超大国であり続けると思われる米国の意向に逆らう事は、小沢氏の政治上の父親である田中角栄元首相の独自外交とその後の失脚を連想せざるを得ない。直接的に言うなら米国に潰されないかということである。

 歴史に類例を探るなら、古代に当時の国際情勢を読み切り超大国である隋の煬帝に「日出る処の天子」云々の国書を送り対等の外交を目指した聖徳太子が数少ない成功例としてある。

 あるいは、小田原攻めに参陣を渋った末、最後には遅参し秀吉に許された伊達正宗の例等は、竜頭蛇尾に終わった例と言えようか。

日本が「小沢外交」を選択した場合、それは即ち日本の運命となる。

 小沢氏の今回の行動に対し、自民党政権を早期に解散総選挙に追い込むための駆け引きであり、外交を国内政局に利用しているとの批判がある。

 その面はあるが、政治は、勢力集結、駆け引きの組み合わせで、政策を実現させるものである以上、政策と理念の是非が先ず第一に論じられるべきであろう。

 小沢氏は米国が開戦時に於ける直接的な国連決議を得なかった事を問題視し、その後の国連の追認を以てしても日本の参加は認めないという立場であり、その主張は現実の国連の有りようを超えて在るべき姿を想定し日本の行動の判断基準とするものだ。

 一方で小沢氏は、01年12月の安保理決議1386に基づくISAF(国際治安支援部隊)をアフガニスタンへ派遣している点を指摘し、「国連に認められた活動に参加したい。これは米国にマイナスの話ではない」と述べた。

これ等を名付けるなら、いわば「国連原理主義」と言えようか。

◆「小沢外交」の帰趨と日本の選択◆

 信憑性は不明だが、伝聞によると小沢氏は2年程前親しい人物に、東アジア情勢を分析して、中国大陸で起こるであろう分裂状況を前提に「国連待機軍として日本が中国大陸の混乱を収める時の首相で居たい」と語ったという。

 小沢氏は本気だろうが、派遣地域によっては、より危険が大きいISAFに参加することで党内を纏めるのは非常に困難と予想される。

 ましてや、どんな間接的な後方活動となってもアフガニスタンに陸上部隊を送るとなれば、現状で国民が付いて来ることはまずないと思われる。具体的には航空輸送に落ち着くのか。

 小沢氏が「国連原理主義」を主張するのは、単に原理主義者であるからではない、兵力を出すのに国連の錦の御旗の下にだけで行うことは、長期的な日本の国益と国際秩序構築に役立つとの見立てがあるからだ。また国連決議に制限された形で米国に協力することで是々非々の日米関係を築くことが出来るとの考えもあるだろう。

 問題は、それが諸外国の国益がぶつかり合う現実の外交で、計算の歯車が狂うことなく上手く奏効するかどうかである。

 外交は、国際的な大義を伴った長期的な国益の追求であるべきである。「小沢外交」は日米関係と国際秩序に新しい展開をもたらす可能性がある。

 その一方、ボタンの掛け違いがあれば、日米関係は本より国際社会の孤児になる危険を孕む。その是非は、国会議論と世論を通して国民が判断し監視していくしかない。