No.69(2007年2月号から)

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博愛と反戦の思想家・墨家の闘いを描く

―映画「墨攻」を見て!―


 今話題の歴史映画「墨攻」を見た。中国人民解放軍をエキストラに動員しただけに戦闘シーンは迫力があり、アクション娯楽作品としても成功している。

 この映画は同名の日本の漫画の映画化である。時代は中国の春秋戦国時代(紀元前770年〜前221年) 諸子百家という思想家達がいた。その中で有名なのが儒家であり墨家であり法家であり道家であった。

 墨子(ぼくし)は儒学を批判的に学んだうえで独自の学問(思想)を創出した。ゆえに墨家の考え方はたぶんに儒家の主張のアンチテーゼである。たとえば儒家が階級社会を容認し、親に対する孝養を重視しているのに対し、墨家は儒家の家族への愛を「偏愛」と批判し「兼愛」(ひろく愛するの意)を主張する。

 墨家の特徴は、その実践性にある「非攻」を掲げ、大国が小国を攻撃することに反発して、小国を守るために戦争を指導し、科学的な知識を活用して攻撃を受けた城(都市)を防衛することで自己の主張の正しさを証明しようとした。

 この無償の実践は、今風に言えば博愛であり、これを墨家は「兼愛」と表現した。

 墨家が守る城は防御が固かったので「墨守」という言葉が生まれたほどである。

 さて映画は、趙の大軍が燕の国を攻撃に行く途中小国梁を攻撃する。梁は墨家に救援を求めたが、墨家が集団としては救援しないことを決めたため、1人の「墨家」が救援に立ち上がる。主人公の革離(かくり)が1人で梁にきた。これが映画の始めのシーンである。

 革離は無償で闘いを指導するのであるが、梁を守るにはより多くの敵を殺さねばならず、そのためには攻撃しなければならない、「兼愛」の立場からは敵をも愛さねばならず矛盾に悩むことになる。

 梁を守り切った革離に待っていたのは王の墨家の考え方への危機意識であり、住民の革離に対する絶対的信望が王に“革離を殺せ”という命令となる。革離を彼が指導した飛距離を延ばした矢が襲う!  革離が去ったあと趙の残存部隊が梁を占領し、革離は再び梁を救う。革離は愛する女性の死を悲しみつつ戦争孤児達の手を引いていず方へと立ち去るのが最後のシーンである。

 この英雄的博愛主義者革離は墨家の教えを実践し、小国の民衆を守る、それゆえに支配者である王に殺されかけるのである。この映画を見て、墨家の思想が解り、この集団が秦の統一後中華から姿を消す理由が解るのである。

 墨家は民衆の闘う力を引き出す煽動家である。これは支配者には受け入れがたいことである。

 毛沢東は、党官僚支配に反対する文化大革命の大衆運動の中で儒家の孔子批判の思想運動を展開した。儒家は権力者の側に都合のよい思想であり、逆に墨家は民衆の立場に立った思想であったがゆえに弾圧されたのは、「博愛」や「非攻」という階級を否定する博愛思想や反戦思想ゆえなのである。

 しかし映画のこうした思想的な背景は別として、戦闘シーンは迫力があっておもしろい。残念なの は城攻めにすでに使われていた雲梯や投石器などの攻城兵器が予算の不足からか見られなかったことである。

 私は宮城谷氏の中国の春秋戦国時代の歴史小説で一定の知識があったので非常に興味深く映画を見ることができた。映画の攻撃側の趙は、春秋戦国時代の7つの大国のうち北方の勇である。原作の漫画では趙軍は2万という設定だが、映画では10万人対4000人の闘いとして描かれている。

 注目すべきは墨家は平和主義者だが「非武装中立」ではないことである、闘って平和を勝ち取るのである。それは「攻撃的防御」と言えるものである。映画のタイトルが「墨守」ではなく「墨攻」となっているのはそうした意味を含ませているのであろう。

 私は、「専守防衛」であるはずの日本が、アメリカに追随して9条改憲や集団的自衛権の解釈を変えることで侵略戦争体制を整えつつある時だからこそ、映画「墨攻」を見た日本の人達に、墨家の「非攻」「兼愛」の戦闘的平和主義・反戦と博愛の思想に学んでほしいと切に思うのである。