No.66(2006年11月号から)

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侵略戦争に「誇り」を訴える遊就館

宗教右翼の歪んだ歴史認識を反映


 東京に行く機会があったので靖国神社を参拝し遊就館を見た。かつて30年前に修学旅行で参拝して以来であった。靖国神社は奈良や京都に神社を見なれている“関西人”が受ける印象は、何と“殺風景”な神社かというものである。
 
参道わきに植込みや花壇があるわけではない、バカでかい鳥居も鉄製だ!鳥居とは、中国の周王朝時代に“天”という概念が初めて生まれ、鳥が“天上の神の使い”として敬われ、鳥が羽根を休めるための鳥居が作られ、それが「蓬莱の国」(日本)につたわり“文化の化石”として今に残っているのである。大きければよいというものではないのである。

 遊就館の展示もいただけない。明治維新という近代日本の歴史を切り開いた革命と、軍部と軍国主義者が暴走し、国を亡ぼし350万人の国民を死なせた侵略戦争を同列に展示することはミソとクソを同じあつかいにすることに等しい。

 戦争とは2つの側面がある、侵略する側から見れば不正義の戦争であり、侵略される側からすれば祖国擁護の正義の戦争である。

 旧日本軍の中国との戦争は侵略戦争であり、日本とアメリカ・イギリス等の戦争は植民地をめぐる「強盗」どうしの不正義の戦争である。したがって、昭和の戦争で死んだ人達は“犬死に”であり、それを“英霊”と称える狙いはどこにあるのだろうか? 「日本会議」などの宗教右翼の歴史を歪曲する意図を考えないわけにはいかない。特に展示の中にインド人の発言を利用して“正義の戦争”を装うのはよくない。

 第二次世界大戦がインドの宗主国であるイギリスを衰退させ、植民地が維持できなくなり、インドが独立できたということは、“戦争が歴史打開力を持つ”ということであり、日本の侵略戦争でアジア諸国が独立できたから、日本の戦争が「正義の戦争」になるわけではない。

 展示の中に、戦争中の日本の勢力圏の地図がある。一時的にせよ巨大な占領地を保持したことに誇りを持たせようとしている。これは欺瞞に近い、この戦争で日本国は史上初めて敗北したのである。

 遊就館の二階の映画上映「私たちは忘れない!」−感謝と祈りと誇りを−もいただけない。アジアの多くの人達を苦難に追いやって犬死にさせられた人に同情はしても、誇りを感じる人はいないであろう。

 国を滅ぼし、侵略戦争で死んだ人達を無駄死にとさせないためには、不正義の戦争への反省と責任の所在が明らかにされるべきだ。欺瞞の展示は“A級戦犯”の合祀の反映であり、ミソとクソを一緒に祀ることで侵略戦争正当化の狙いがすけて見えるのである。誰かが不正義の戦争の責任を取らなければならないのである。

 遊就館の展示には、日本の戦争でアジアの人々が受けた苦難が展示されておらず、侵略戦争への反省も一切なく、なによりもアメリカの国際法違反の原爆投下への糾弾がない!この展示は、そうした意味で日本の宗教右翼の歪んだ歴史認識を示しているにすぎない。外国人もこの展示を見るのであるから、これは日本民族の“恥”である。

 搭乗する人間にとって人間魚雷やロケット特攻機などの非人道的兵器や当時のアメリカと比べて劣悪な兵器を展示することに、どのような意味があるのだろうか?“こんな劣悪な兵器で日本兵は食料補給もない死地へ投入された”とのタイトル表示が欠けているのである。

 こんなお粗末な展示をするから、日本はアジア諸国から「侵略戦争を反省していない!」と非難され、敗戦後60年以上も経つのに、なおアメリカの従属国として多くの米軍基地が日本の国土に存在し、その費用として莫大な金を「貢献」「思いやり予算」としてアメリカにむしり取られるのである。

 宗教右翼は、意味のない靖国参拝の運動をやめて、日本の対米自立の運動をこそ展開するべきだ。とりわけアメリカの戦略に日本が巻き込まれつつある今、その重要性は高まっている。日本の自立なしに戦後は終わらないのである。

 昭和の戦争で犠牲になった人達の死を無駄にしないために“自立と平和のための国民運動”が今求められているのである。