No.65(2006年10月号から)

日本人の心をひきつけたオシムの言葉

祖国解体を経験した愛国的智将


 「自主性」と称して指導を放棄したジーコに代わって、サッカー日本代表新監督に、旧ユーゴスラビア出身のイビツァ・オシムが就任した時、世界のサッカー界は「日本は“宝”を手に入れた」と羨望(せんぼう)を込めて評した。

 あの“ピクシー”(ストイコビッチ)が「類まれな戦略家」「世界屈指のコーチ」「最高の監督」と讃えるオシムは、貧乏な家庭に育ち、靴下を丸め重ね合わせたボールでサッカーを始めた。

 オシムの母親は非常に教育熱心な女性で、息子に弱者に対する慈しみと、異なる民族や文化を持つ人達を尊敬するよう教育したという。冬になると高齢者や障害者の家に石炭を運ぶのが幼かったオシムの役割だった。

 当事のユーゴスラビアは、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字を持つ“モザイク国家”と呼ばれていた。ユーゴの位置するバルカン半島は“欧州の火薬庫”と言われていた。

 オシムはサラエボ大学から大学院に進んで数学の教授にならないかという誘いがあったにもかかわらず、家庭の事情からサッカー選手の道を選択した。当初は奨学金を受けながら大学で数学を専攻しながらプレーをしていた。

 オシムは1970年から8年間フランスでプレーし通算12年間の現役生活で85得点をあげている。この間イエローカードを1枚も提示されていない点にオシムの特質が示されている。

 「フランスで生まれ育った子供が母国語を忘れかけていた」祖国への熱い思いがオシムにユーゴへの帰還を決意させた。

 こうしてオシムの監督人生が始まり、そして悲劇を迎えることになる。

 当時ユーゴはNATOとワルシャワ条約機構の接点にあり、アメリカと欧州諸国は多民族国家ユーゴの解体を、将来のソ連と中国解体の実験場とみなした。こうして外からの工作でユーゴ国内の民族的対立が煽られていった。

 オシムはユーゴのナショナルチームの監督として当事世界最高レベルのチームをつくり上げていた。

 サッカー場に民族的対立が忍び寄り、マスコミの記者会見での質問にも意図的に民族的対立が反映するようになった。

 ユーゴはこうして内戦に巻き込まれスロベニア、クロアチア、ボスニア、コソボ、更にはサラエボも民族的対立に見舞われることになった。こうしてイビツァ・オシムは、愛する祖国の解体と手塩にかけて育てたナショナルチームを失い、愛する妻は戦火のサラエボに残された。オシムの心の奥の怒りと悲しみを知らねばならない。このようにユーゴは欧米の社会主義国解体の実験場にされ、サラエボ五輪に使用された競技場は墓場となった。

 その後のオシムはギリシャの監督を経て、東京オリンピックの時に好きになった日本に来たのである。弱小チームのジェフユナイテッド千葉の監督となり、3年間でジェフを強力なチームに育てた。

 以下はオシムの言葉である。

「いい選手が監督になった時は、自分がいい選手であったとことを忘れるべきだ」

「大切なのは勝った試合で浮かれることではなく、何が良くないかを見極めることだ」

「レーニンは“勉強して、勉強して、勉強しろ”と言った。私は選手に“走って、走って、走れ”と言っている」
「ライオンは追われたウサギが逃げ出す時に、肉離れをしますか?要は準備が足らないのです」
「新聞記者は戦争を始めることができる。意図を持てば世の中を危険な方向に導けるのだから」
「日本人は平均的な地位、中間に甘んじるきらいがある。野心に欠ける。これは危険なメンタリティーだ。受身過ぎる。周囲に左右されることが多い」
「作り上げることは難しい、でも作り上げることの方がいい人生だと思いませんか?」
「能力以上のものを期待するから失望するのだ」
「無数にあるシステムそれ自体を語ることに、いったいどんな意味があるというのか。大切なのことは、まずどういう選手がいるか把握すること、個性を活かすシステムでなければ意味がない。システムが人間の上に君臨することは許されないのだ」
「私が考えるのは、スピード、良い意味の攻撃性、個人の技術など日本人の持ち味を活かすこと」
 オシムが記者会見でたびたび記者の質問に反発し、切り返すのは、ユーゴの民族的対立時の苦い記憶からきている。
 日本人がオシムの言葉に心ひかれるのは、愛する祖国を失い、ナショナルチームを失なった悲しみを、そして新聞記者の恣意的な質問への怒りを秘めて、なおもサッカーへの熱い思いをもって選手を指導し、日本のサッカーを強くしようとしている彼のひたむきな気持ちが、その含蓄ある言葉に現れているからである。
 オシムは日本人の国民性をよく見ている。彼が「リスクを恐れるな!」と語るとき、日本人のリスク回避の消極性を認識しているのである。これは何もサッカーだけでない。日本の1年間の労働相談件数が年間数十万件にものぼるのに、裁判の個別労働紛争が100分の1にも満たないは、日本人の消極性、受身的で、怒りを抑えて“泣き寝入り”する“我慢を美徳”とする国民性に原因がある。

 アメリカに従属し、「思いやり予算」や「米軍再編」の名目で莫大な国家予算を略奪されているのに“対米自立”の声は国民の中からは表面化していない。

 ここにはオシムが見て取った日本人の「平均的地位、中間に甘んじる」傾向性や「受身過ぎる」消極性や、「周囲に左右される」日和見的態度の現われかもしれない。

 愛する国家の解体を経験したオシムだからこそ、日本人の農耕民族としての特徴・弱点が見えるのであろう。

 かつての日本軍国主義が民族の誇りや愛国心を侵略戦争に利用したために,日本人は民族的誇りや愛国心に必要以上に警戒心を持つようになった。その結果が敗戦後60年以上たった今も国家として自立できず、アメリカの属国の地位に甘んじている。

 ユーゴ解体にEUの果たした役割に反発し「EUにはいかない」と日本に来たオシムの愛国的怒りと意地に学ばなければならない。