No.64(2006年9月号から)

小“ポチ”安倍選出の“猿芝居”

自民党総裁選


 今年夏、訪米した小泉首相が次の首相として安倍が就任することをブッシュに報告し、承認を得た時点でポスト小泉は決定していたのである。だからこそ福田は総裁選を下りたのである。

 それゆえに安倍・麻生・谷垣の総裁選が“猿芝居”で“消化試合”と言われたのであろう。三人とも小泉内閣の閣僚なのだから、小泉「改革」の“負の遺産”に責任が存在する。したがって総裁候補が誰一人現政権を批判しない“風変わり”な選挙となった。

 三人とも少しばかりニュアンスの違う主張で、大衆にすぐ見透かされる浅はかな総裁選だったというほかはない。何しろ小泉が次期首相に安倍を押していると言う情報が流れただけで、自民党内に7割以上が“勝ち馬に乗る”連中となり、初めから安倍の勝利が決まっていたのである。

 今回の総裁選は、日米同盟の強化、集団的自衛権の憲法解釈の変更、さらには“改憲”消費税大増税の“宣伝の場”としての意味しかない。安倍のブレーンは郵政民営化で党外にあり、小泉がその安倍を事実上指名をしたのは「院政」を狙っているのである。

 安倍の著書「美しい国へ」を読んでわかったのは、安部が現在の日本が小泉「改革」の結果、“醜い国”、“汚い国”になっていると言う現状認識に立っているということである。だからこそ自分の著書に「美しい国へ」と名づけたのである。もちろん小泉批判は隠されているため、本書の内容はつまらないものとなっている。安倍は小泉内閣の番頭とも言える官房長官であり、安倍自身が“醜い国”に責任がある。しかし「美しい国へ」の中には自己批判はない。

 安倍は「闘う政治家」と自分を表現しているが、安倍自身が何も闘ったことがないのである。

 安倍は「自立する国家」を掲げながら中身は小泉と同じ対米追随であり、靖国と歴史認識では小泉と変わらず、官僚と同じ年金論と教育「改革」、さらには欺瞞的な“再チャレンジ可能な社会”、これでは来年の参議院選挙は難しい。

 自分達がグローバル化でモラルの崩壊を招いておいて、教育「改革」でモラルを回復するというのだから笑わせる。原因と結果をわかっていないのである。

 一口で言えば安倍政権は右翼売国親米政権となり、ブッシュの戦争路線と一体となって、“危険な国日本”を生み出す可能性が強いということである。

 東京裁判を否定する安倍の歴史認識は「歴史というのは、善意で割り切れるような、そう単純なものではないのである。」というブルジョア常識にすぎず、人類の歴史が大きくは階級闘争の歴史であり、権力が耐えず上から下へと降下して来たこと、人類社会の進歩とはたえずより多数者の利益を図る方向へと発展してきたことを知らねばならない。

 したがって小泉「改革」が少数者の利益、多数者の貧困を目的にしている以上、その政治を継承する安倍は反動勢力の指導者と言う歴史的地位を逃れることはできないのである。

 これが正しい歴史観から見た安倍政権の位置づけなのである。

 ことあるごとに「私のおじいさん」(岸)を引き合いに出し、自分の父(安倍)を語るのは“ダメ三代目”の見本のような人物ではないかと思わせるものがある。

 少なくとも小沢の「小沢イズム」と読み比べると、安倍を“線香花火”と評した田中真紀子の言葉が正しいと思えてくる。

 歴史もろくに理解していない人物が首相となり“歴史を作る”とばかり「自身と誇りのもてる日本」(安倍)を目指せば、対米追随の軍事路線を一気に進める危険を指摘しなければならない。「危険な国日本」へと導く可能性がある。

 今日本の指導者として必要な人物は、北朝鮮のミサイル発射や、“日本の属国化”がアメリカや中国の意図と結びついていることを見抜くだけの戦略観点を持った指導者である。

 少なくとも、自分のおじいさんを引き合いに出すプチトマト的な小粒の三代目政治家では話にならない。

 多極化時代の国際政治とは“合従連衡”の戦略外交を必要とする。

 もはやどこかの大国に追随すれば日本の安全を保てるという時代ではないのである。

 戦争で疲弊する大国アメリカに追随する危険と高負担を理解できない“小泉院政”の先にあるのは“危険な国へ”そして“亡国”なのである。