No.62(2006年7月号から)

ジーコは任せ過ぎた −単純思考が日本を亡ぼす−

投稿 文筆家 佐藤 鴻全


21cジャーナル編集部に佐藤 鴻全氏より投稿がありましたのでご紹介します。
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 W杯で日本は1次リーグで敗退し、決勝トーナメントに進めず帰国した。ジーコジャパンは、緒戦のオーストラリアで逆転負け、次のクロアチア戦で引き分け、第3戦のブラジル戦で逆転負けし、1勝も出来ずにF組最下位に終わった。

 この敗退原因について、個人の技術が劣っていた、小兵ゆえ体力的に及ばなかった、気力が中盤まで続かなかった、直前の親善試合でドイツに善戦し士気が緩んでいた等、色々に評されている。

 それぞれに当たっているが、筆者は最大の原因はジーコの采配と選手の育成に有ったと思う。

 ジーコは、オーストラリア戦で、終盤攻めに行くのか守りに行くのかを明示せず選手が混乱していたと伝えられる。

 これを象徴として、あまりにも選手の自主性に任せ過ぎた。これは、前任のトルシエ監督と対象的である。トルシエは、体育教師と揶揄された様に選手を型に嵌め、隅々まで管理、コントロールした。

 フラット3と言われるディフェンスラインを、宮本等がトルシエの指示に反して上
げて、それが効を奏するという事すらあった。

 日本のレベルが上がり、諸外国から研究され始めた以上、トルシエのパターン化されたサッカーは通用し無くなっていた事は明らかであった。

 しかしジーコは急ぎ過ぎた。ジーコのやり方は、天才的なプレーヤーばかりで構成されているブラジルチームに対しては通用したのかも知れない。

 名選手即ち名監督ならずの例に漏れず、天才ならざる日本選手達を育成、指導、采配出来ずに終わった。

 「任せて任さず」という言葉がある。部下の主体性に任せるも、常に目立たぬようにウォッチし、肝腎な所で方向性が違えば軌道修正してやると言う、職場では当たり前に行われている方法だ。天才故に、この基本的な感覚がなかったのか。

 さて、今日、我が国の教育現場では、ゆとり教育の弊害が語られている。また、金融、証券業界での規制緩和の行過ぎが、ホリエモンや村上ファンドの違法行為を生んだとも言われる。あるいは、経済での自由化の行き過ぎが、格差社会を産んだとの批判もある。

 筆者は、これらの現象に共通するのは、単純思考に有ると思う。即ち、旧来の弊害を打ち破る事は良いが、それらの逆を行けば全て上手く行くという単純化された信仰だ。そこには、旧来の方法の弊害と、それを否定して行く事に内在するメリットとデメリットに対する考察が欠落している。

 徹底的に教え込むべき基本的な知識技能とは何なのか、先行する世界の金融、証券の規制緩和に伴ない強化している規制とは何か、経済の自由化の中で守るべきセーフティーネットをどう構築し、社会をどうデザインするのかに知恵が回らない。

 旧来の弊害は破らなければならない。しかし、その逆を行くだけの単純思考は日本を亡ぼす。ジーコジャパンの失敗から、日本社会が学ぶものは少なくない。