No.43(2004年12月号から)

世界の笑い物とならぬために

理念なき「三位一体改革」の愚

投稿 文筆家 佐藤 鴻全  


21cジャーナル編集部に佐藤 鴻全氏より投稿がありましたのでご紹介します。
佐藤氏のホームページ

 政府・与党は26日、国・地方税財政の三位一体改革で、2006年度までの改革工程を示す「全体像」を最終決定した。

 補助金見直し額は約2.8兆円。このうち国から地方への税源移譲金額は、04年度分を含めても固まったのは約2.4兆円にとどまり、小泉首相が当初目標として掲げた3兆円に達しなかった。

 さて、改革の内容を見てみると、玉虫色という事に加えて何か捉え所の無い鵺(ぬえ)のようなものに仕上がった感がある。

 これは、(1) 中央の権限を手放すまいとする各省庁と族議員、(2) 財政赤字の負担を地方に押しつけたい財務省と首相、(3) 地方交付税の配分で主導権を確保したい総務省、(4) 純粋に自由に出来る財源が欲しい比較的富裕な自治体、(5) 補助金削減に怯える逼迫した自治体、各者各様の思惑と疑心の中で妥協が探られた結果だからに他ならない。

義務教育の在り方

 焦点だった義務教育費国庫負担金は、地方6団体の改革案の金額に見合う8500億円を減額、05年度分は暫定措置としてその半額を減額することで決着した。

 なお、義務教育制度は国の責任を堅持し、費用負担は地方案を生かす方策を検討、義務教育の在り方は05年秋までに中央教育審議会で結論を出す事になった。

 典型的な先送りの玉虫色決着だが、義務教育費の負担責任が地方に移る流れである事だけは間違いない。

 残念な事だが、これにより将来逼迫した自治体が本来教育に振り向けるべきような費用を、背に腹は代えられないとばかり他の事に使い、全体として都市と地方の学力格差が更に開いて行く事は避けられないだろう。

 義務教育費国庫負担金制度は、公立小中学校の教職員の給与の半額を国が負担する制度であり明治から続くものだが、1950年のシャウプ勧告により一旦廃止された後、地方財政の悪化で53年に復活したものである。

 教育での地方の自由な工夫を広げるために、国庫負担制度をなくす事が正しい方向だと言う議論があるが、それは「国は金は出すが、基本的な最低限の事以外では口を出さない」ような仕組みを確立して別途措置するべき問題である。

 義務教育の基礎的な費用は、やはりそれぞれの財政に格差が生じる地方が負担する事には馴染まない。

 因みに、欧米先進国では、義務教育の教職員の給与について殆どの国が100%国庫負担であり、50%程度の負担としている国はむしろ例外である。

国のかたち

 また、社会保障については、国民健康保険は地方への権限移譲を前提に都道府県負担を導入するとされた。

 これも、仕組みとしてかなり劣悪なものである。

 それにより、高齢者が多く医療費負担がかさむ地方は、社会保険料が高額になり、若者にとって更に魅力のない土地となって経済的に疲弊して行く悪魔のサイクルに陥り、自立からは永遠に見放されるだろう。

 これらの「三位一体改革」の玉虫色かつ数字合わせによる倒錯した様相は、言うまでも無く改革の根本的理念を欠いているのが原因である。

 元より、19世紀の夜警国家ではないのだから、国防と外交以外は全て地方や個人の責任でやらせるという切り分けは他国と経済的に伍して行くためにも成り立たない。

 国防、外交等に加えて、義務教育、基礎的社会保障のようなナショナルミニマム、いわゆる背骨に当たる部分は国家として保障し、それ以外の全ての部分、例えば基幹的でない公共事業のようなものこそ地方や個人の自由裁量に任せる大胆な切り分けが必要とされる。

 社会生活で自己責任に帰する範囲と国家が最低限補償する範囲を明確に示すことが、国民に一定の安心を提供すると共にある種の覚悟を促し、「ナショナルミニマムを伴った自立社会」として我が国を調和ある発展に導くだろう。

 それは、国家と地方の関係においても同じである。

 各国の国民性、歴史、経済情況によってその在りようは異なるが、これらの事を適切にシステム化して上手く社会に組み込む事は、メガコンペティションの経済で勝ち抜くための必須条件となる。

 しかるに今回の「三位一体改革」はその逆を行き、中央と地方の関係は混乱し、「この国のかたち」は、背骨を欠いて掴み所のない姿になって行くだろう。

 明治維新は、近代国家成立の過程として封建体制から中央集権への移行を基に成された。

 現在は逆に、大きな流れとして、大胆な財源移譲により行き過ぎた中央集権から地方分権への移行を行い、地方の意欲と工夫と主体性を引き出すべき時なのは間違いない。

 「三位一体改革」はもう走り出しつつあるが、誤った目的地と不正確な地図しか持たない山登りは、やがて道に迷い遭難して終わる。

 速やかかつ適切な軌道修正がなされる僥倖を祈りたい。