No.43(2004年12月号から)

エリート教育と愛国教育の危険

義務教育の民営化狙う独占資本


エリート教育と愛国教育

 最近の教育に関する記事を拾っていくと、教育が野蛮な資本主義化の餌食になりつつあることがわかる。

 「今日の日本の混迷は、これまでの教育に起因するところが大きい」を持論とする中山文部科学相は、教育基本法の「改正」と教育への「競争原理の導入」を主張している。

 11月2日に中山は教育現場に競争意識を高めてもらうために新しい全国学力テストを実施する考えを小泉首相に伝えた。何のためか、習熟度別の学級編成によるエリート教育のためである。

 石原知事の東京都は「君が代」を起立斉唱しなかった教員に「再発防止研修」の受講を命令して「君が代」=国歌を強制している。

 東京都教育委員会は、07年度から「奉仕体験活動」を必修教科とし年35時間を充てることを決めた。

 また全国の都道府県教委が「指導力不足」教員の認定制度の導入を進めている。教師への統制と支配を強化しているのである。

 現在与党の進めている教育基本法「改正」検討の、その眼目は愛国心教育の注入である。

 政府の進めている愛国教育とエリート教育の危険を指摘するには、戦前の愛国教育とエリート教育が亡国を招いたことを見れば明らかである。

 国旗、国歌法案の審議の際には、生徒と教師の「内心の自由」を尊重すると答弁しておきながら「日の丸」「君が代」を強権的に強制しているのが実際である。

 こうした国家主義・天皇イデオロギーの強制は、自民党の改憲案の「天皇と国家元首」化と結びついており、戦前と同じような皇国史観に基づく国史教育や侵略戦争の正当化が見え隠れしている。

 激化する教育の反動化は、日本企業の海外進出と有事法制・新防衛大綱見直しや9条改憲等の戦争法の整備や日米同盟の地球的規模での強化と一体のものである。

株式会社の学校経営に道開く

 政府・与党は11月26日、国と地方の税財政を見直すいわゆる「三位一体の改革」の全体像を最終決定した。それによると義務教育費は8500億円減額される(05年度は団体措置として4250億円減)。

 地方分権の名目で進められている義務教育予算の削減は、実は教育の民営化の“布石”なのである。

 日本経団連は、政治資金(=買収費)の配布基準を作って保守政党に彼らの望む政策の実行を迫っている。11月16日には「04年度日本経団連規制改革要望」を発表し政府に提出したが、その中には「株式会社等の医療機関経営への参入」にならんで「学校に関する公設民営の解禁」が含まれている。

 また日本経団連は先に武器輸出三原則の解禁をも政府に求めている。経団連のこうした動きは、巨額の資金を蓄積した大企業(独占資本)が利潤獲得のための投資先を求めて病院や学校の経営に進出しようとし、さらには軍需産業をアメリカの下請けとして発展させ、武器輸出を考えていることを示している。

 つまり政府の「三位一体の改革」による義務教育費8500億円の削減の背景には、義務教育のアウトソーシング(外注化)、小中学校の民営化、授業料の受益者負担の図式が隠蔽されているのである。

奉仕と愛国心強制の狙いは戦争体制にある

 東京都が狙っている「奉仕体験活動の必修化」は何を狙っているのだろうか?元々ボランティアには志願者という意味があるが、必修というのは強制という意味である。

 広辞苑は奉仕について「献身的に国家・社会のためにつくすこと」とある。戦争中には勤労奉仕に市民が動員されたことがあった。

 衆院憲法調査会の中山会長は、かってドイツの徴兵制を例にあげて「ドイツでは青年に徴兵を拒否する権利を与え、そのかわり兵役に服する期間だけ社会に奉仕することを憲法上の拘束力を持たせている。」と語ったことがある。

 彼らは日本においても戦争態勢として、この選択的徴兵制導入との絡みで「奉仕活動」と「愛国教育」を強制しているのである。

 青年を戦争に動員するためには愛する国家のために死ぬことが最も美しいとする考えを注入しなければならない。

 グローバル化の時代は大競争の時代であり、徹底したエリート教育で国家と大企業のために科学・技術を発展させて、工業製品の競争力を高めなければならないと彼らは考えている。同時に彼らは海外の日本企業を守るのは愛国的軍隊=自衛隊でなければならないと考えている。つまり日本独占資本の侵略性と結びついて教育の反動化が進行している。さらに言えば小泉の米覇権主義との従属同盟の強化という戦争路線が日本の教育の反動化をうながしているのである。

 日本の社会に“勝ち組み”と“負け組み”を生み出すグローバル化が学校に反映して「いじめ」や「不登校」「学級崩壊」や「学力の低下」などが起きているのである。「改革」の名で進める野蛮な資本主義化が今日の日本の、混迷の原因であり、教育の現状は結果であって原因ではないのである。

 「今日の日本の混迷は、これまでの教育に起因するところが大きい」(中山文部科学相)との考え方は結果を原因と見まちがっているのである。

対米自立こそ真の愛国主義

 不思議なことに愛国教育を語る人々は、日本の従属状態については一切語らない。アメリカの属国である日本を彼らは“愛せ”と言っているのである。本当の愛国者は、日本の対米自立をこそ語るはずであると我々は考える。

 愛国心は強制するものではない。子供達が愛することのできる国に日本をすることが先決だと思うのである。

 アメリカの従属国であり、多くの米軍基地がある日本。政治家はアメリカの言いなりで、人民は大量の失業と過労死、年間3万4千人以上の人が自殺を選び、犯罪は急増、政治家はワイロにむらがり、官僚は裏金と天下り先づくりに熱中し、大企業と金持ちは脱税に励む、そんな情けない国の民に愛国心を持たせるには、たしかに強制力がいるであろう。しかし重要なのは教育の多様性と民主制であり、強制による画一性ではない。

 求められているのは、教育を荒廃させている野蛮な資本主義化からの決別であり、グローバル化と覇権主義のアメリカへの追随をやめ、民族の自立を達成することである。

 日本の対米自立という民族的課題の実現を目指すことこそ真の愛国者であり、真の民族教育の目指すべき方向なのである。

 アジア諸国の人々の反発を押して靖国神社に参拝し、「従軍慰安婦や強制連行などの言葉が教科書から減って良かった」(中山文部科学相)と公然と語る人達は、反動的民族主義を進めているのである。教科書を「自虐的」と批判して書き換え、歴史をゆがめて教育する連中に愛国的民族主義教育を語る資格は無いのである。

 日本を対米追随の侵略と戦争の道に導く人々は、実は売国派であり、決して愛国主義者とは言えないのである。

 全国の教師は、反動的支配層のためか、それとも人民のためか!という誰のための教育かを常に考えて教育実践を進めなければならず、天皇イデオロギーと「愛国」と「奉仕」の強制に反対し、対米追随を特徴とする売国と亡国の道に反対し、対米自立で日本の平和を目指す民族民主教育を実践しなければならない。