No.100(2009年9月号から)

労働裁判に懲罰的慰謝料の導入を!

裁判への信用の回復を急げ


 日々労働相談を受けていると、労働者の雇用がいかに軽々しく扱われているかを痛切に感じるのである。

 現状の労働裁判では解雇事案で勝ったとしても慰謝料が支払われるわけではない。未払い賃金が支払われるだけで、しかも判決では従業員としての地位確認だけで原職への復帰を認めない場合が多いのである。

 解雇になった労働者の生活は、雇用保険の仮受給はわずかな期間しかないので当然窮迫したものになる。今日のように仕事が無い状況では解雇労働者は借金でしのぐほかない場合もある。日本の労働裁判では原状回復主義であるため経営側の解雇がやり得となるのである。

 日本で違法な解雇がまかり通るのは、労働裁判が不公平な結果しかもたらさないからである。弁護士着手金が支払えないので不当解雇を泣き寝入りする労働者は非常に多いのである。

 アメリカほどでなくても懲罰的慰謝料が裁判の判決で認められるなら労働者の泣き寝入りは減少するであろう。裁判や審判で金銭解決が多いのは、原職復帰が認められることが少ないことが影響している。労働者側弁護士も退職を認めた上での金銭解決の方が収入が増えるので、和解を勧める傾向がある。

 許せないのは裁判官が「復職前に配転を行い、大幅な減給とする」ように経営者側を指南し、したがって裁判で勝っても復職できない例も出ている。

 こうして違法な解雇を経験し、裁判をやっても原職に戻ることが難しくなってくると、労働者は暴力的解決に走ったり、怨みを残して非正規労働者に転落していったりするようになる。

 近年日本社会で非正規の労働者が無差別殺人を犯す例が増えている。彼らは強欲の資本主義の犠牲者であり、怒りを闘いに向ける術を知らないのである。

 日本の裁判制度はあまりにも経営者に有利に運用されているため社会に怨みを残した労働者を大量に生産しているのである。このままでは日本はテロ社会になるのではないか?と心配するほど、泣き寝入りせざるを得ない労働者の怒りが強いことを経営者は知るべきである。

 裁判で負けても経営者は未払い賃金を払えばいいと思っているので、労働者を不当に解雇し、生活苦に放り投げるだけで、やり得となるのである。経営者の中には、こうした労働裁判の実情を知っているため、労働者を舐めてかかり、ウソで固めた解雇の証拠を捏造する例もある。

 今日のように企業の側に弁護士や社労士が付いていると、違法解雇の手口がますます悪らつになっている。しかも裁判官が必要以上に金銭解決を強要するのは見苦しいとしか言いようがない。仕事が無い時に金銭解決の強要は不当としか言いようがないのである。それほど日本の労働裁判は金銭解決“あっせん屋”に成り下がっている。

 問題の第1は、労働裁判の原状回復主義にある。アメリカほどでなくても未払い賃金と同額、もしくは2倍の懲罰的慰謝料の制度を導入するべきである。正義が報われなければ、社会に怨みを持った人間を排出するだけである。懲罰的慰謝料が認められれば不当解雇は減少し、正邪を決する裁判になるであろう。

 労働者は裁判で自分の正しさを明らかにしたいと思っているのに、頭から金銭解決を強要する現状の裁判制度は民主的とは言いがたいのである。

 問題の第2は、裁判で勝ったのに、会社が復職に先立って配転と大幅賃下げを通知し、受け入れなければ解雇すると脅す例すら出ている。これでは裁判制度の意味がない、しかもこの社長は「高裁の裁判官に教えてもらった」と公言している。つまり判決で原職復帰を命じない歪みが表面化しているのである。

 問題の第3は、裁判官の判決や行いを審査する機関を創出する必要がある。裁判の中には裁判官が経営側に買収されているとしか見えないひどい判決が少なくないからである。このようなことを許しておけば、国民の裁判に対する不信が広がるだけであり、やがては暴力で解決しようとする社会的風潮が広がるであろう。

 私は労働問題に長年関わってきた経験から、日本社会がテロ社会に突入しつつあることをひしひしと感じるのである。人間としての、労働者としての権利が法律と法廷で守られる社会でなければ、人々は裁判に背を向けるようになるであろう。

 労働者の裁判に対する不信感を私は日常的に見ているのである。国家権力が裁く姿を、裁判員制度で隠そうとする努力をするぐらいなら労働裁判制度の民主化を計るべきだ。

 それは(1)懲罰的慰謝料の導入であり(2)原職復帰の判決を出すことであり(3)裁判官審査機関の創設である。司法は労働裁判への信用の回復を急がなければならない。

  新世紀ユニオン執行委員長
        角野 守