No.20(2003年1月号から)

日中の戦略的同盟提起した毛沢東

田中角栄と毛沢東

青木直人著 ビジネス社 1500円+税


 最近読んだ中で一番感銘を受けた本だった。これまで知りたいと思っていたことや、おぼろげながら感じていたことに明快な答えを与えてくれたからだ。

 ひとつは日中国交回復をめぐる真実。もうひとつはロッキード事件の真相。ともすれば田中角栄の“功罪”、“光と陰”のような形で言及されるこの二つの出来事は、実は、「アメリカの従属下にある日本の自立」という点でひとつにつながっていた。アメリカの世界戦略にくさびを打ち込もうとする革命家、毛沢東の壮大な戦略的思考は、その当時の世界情勢の客観的実際から出発し、その矛盾関係を分析して打ち出されたものであり、唯物弁証法哲学に基づく政治の実践であった。

 著者が「民族派宰相」と形容する田中角栄は、独自のエネルギー資源確保をめぐって、みごとに毛沢東の戦略に沿った動きを開始し、アメリカの怒りを買って失脚する。

 1974年、国連でケ小平が演説した「三つの世界論」は、新しい時代に対応する毛沢東の世界戦略であった。アメリカとソ連の二超大国を第一世界、ヨーロッパと日本の先進国を第二世界、アジア・アフリカ・中南米の発展途上国を第三世界と規定したこの戦略は、第三世界が団結し、第二世界をいかに味方につけて第一世界に反対する世界的包囲網を築くかというものであった。

 われわれが住む日本は第二世界に属しており、「三つの世界論」からすれば第三世界の側に獲得して第一世界との矛盾を拡大していくべき存在であった。日本国内で労働運動や“革命運動”に取り組んでいた俗人たちの目から見ると、「アメリカに従属して日本人民を支配している日本独占は敵」であり、“獲得する対象”と言われても、にわかには理解しがたいことであったに違いない。

 だが、毛沢東は違っていた。アメリカと共同で日本人民を支配しているとは言え、実際には自分自身もアメリカの支配下にある日本独占の中には、“親米独占”と“反米独占”とがあると見た毛沢東は、その矛盾を利用して日本独占を分断し、アメリカに対抗する勢力として中国と世界人民の側に獲得しようとした。

 ニクソン訪中時をはるかに上回る歓待をし、戦争賠償請求権をあっさりと放棄し、日米「安保」条約の存在をも認めて田中を驚かせた周恩来の外交は、毛沢東の戦略に沿って第二世界である日本を獲得するという強い方向性に裏付けられたものであった。

 「田中角栄と毛沢東」と題するこの本の最大の焦点は、これまで「政治の話はいっさいなかった」とされていた二人の会談の本当の中身を、ねばり強い取材によって明らかにしたことである。ページ数にしてほんの2ページほどにしかならないこの部分の記述は、これまでのどの記録にも記されていないものであり、毛沢東が「組むというのなら徹底して組もうではありませんか」と田中に日中同盟を呼びかけるという大胆なものであった。

 「三つの世界論」が、単に世界を解釈するためのものではなく、世界の矛盾関係を換えるための戦略であるということの意味はこういうことなのか。感銘を受けたのはまさにこの点であった。

 中国から帰った田中は、その後、シベリアやインドネシアをはじめとする世界中の油田を回り、アメリカをはじめとするメジャーが独占していた石油資源に挑戦する。田中は総理大臣になるはるか以前から、日本が自立するためには資源を自前で確保しなければならないと考えていたが、日中国交回復を含むその後の資源外交は、民族派宰相としての使命を担ったものであったに違いない。

 石油メジャーや金融資本を傘下におき世界を支配するアメリカの“闇の権力”にとって、日本の自立を目指す田中の動きはとうてい許されるものではなかった。日本の裁判の慣例にはなじまない方法で進められたロッキード裁判は明らかに田中の政治生命を絶つためにアメリカが仕組んだものであった。田中は「やられた」とつぶやいたという。全てを承知の上での田中の行動だったのであろう。

 最近の日本の政治は、骨のないどうしようもないものになっており、日本中をおおう閉塞感を打ち破る方向を示し得ないでいる。しかし、その元凶が、85年のプラザ合意に端を発するアメリカの日本政策であり、日本が稼いだ金はアメリカに環流するばかりで全く日本再生のためには回ってこないことが明らかになりつつある。言論界には堂々と日本の自立を口にする人も出始めている。

 しかし、政治の世界では、自立を指向していたと思われる田中真紀子が、父親のように失脚させられ、今のところ、正面切って自立を訴える政治家は見あたらない。世界を見ても、毛沢東がしたように地球規模でものを考え、歴史の発展方向を見すえて大胆に行動するものはいない。

 そのように考えたとき、田中角栄と毛沢東の会談は、ほんの短い時間であったにもかかわらず、世界の矛盾関係を変えようという歴史に残る壮大なものだったのだということがわかる。

 あれからすでに30年が経つが、この会談を通じて毛沢東が示したことは今もまだ通用する。というよりもむしろ、「今こそその時」ではないか。この本を通じて毛沢東がそう語りかけているように思った。